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意識と感覚
たいていの人は、体の使い方を幼少期に自然に覚える。
言葉を自然に覚えるように。
体育の授業でボールから逃げ回っていた少年は、
大人になり肉体から離脱する陶酔を覚え、
37歳にして、自分の体と初めて向き合う。
否応なしに、全て意識の上で体を操ることとなる。
母国語を介して理解する外国語のように。
しかし、大人になってから始めた楽器は、上達が早いと聞く。
もちろん、時間的制約、金銭的制約があるため、必死になっているのも理由だろうが、
それだけなのだろうか。
始める前から何かを知っているからではないだろうか。
その何かに沿うように、指を動かすことができるようになれば、、
一挙手一投足、ひとつひとつの呼吸、すべてに懸けるものは情だ。
勝算はない。
そこに何かがあるという確信だけが、私を動かしている。
というのは真っ赤な嘘で、
究極の快楽が、強靭な肉体を要求しているのだ。
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